解決編を斬る
解決編 1 日本の法的責任
- 3 日韓請求権協定と「慰安婦」問題 を斬る
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引用元URL → http://fightforjustice.info/?page_id=417 (なお魚拓は無効な構造です)
↓ ↓ ↓
発覚したのは、平成25年12月03日ですが、webサイト 『 Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却
への抵抗・未来の責任 』 の構造が変更になり、魚拓の取得が可能になりました ( 一部で取得エラー
が出ますが ) 。 さっと目を通した限りで文章の変更は無い様に思われます。
1-3 日韓請求権協定と「慰安婦」問題
http://fightforjustice.info/?page_id=2481 ( 魚拓 )
以下、青い色の文字がwebサイト『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責
任』からの“引用”です。
解決編 1 日本の法的責任
3 日韓請求権協定と「慰安婦」問題
おい! 『 2 』 がないぞ!
どうした?
( ちなみに、『Fight for Justice 日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』が開設した当初
に 「名前を付けて保存」したファイルにも『1-2』はありませんでした。 編集の段階で削除してそのまま
番号を繰り上げ忘れている様です。)
[ Q&A編 - 1 「慰安婦」の徴集と連行 ] でも『1-3』が無かったよな。
幾らテキサス親父に慰安婦は売春婦だったとバラされたからって慌て過ぎだろ。
[ 画像:日韓条約 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
1965年6月22日に東京の首相官邸で行なわれた、日韓基本条約の調印式の風景
1965年6月22日に、日韓基本条約(正式には「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する
条約」)が締結されました。
これに付随して同日、日韓請求権協定(正式には「日本国と大韓民国との間の財産および
請求権に関する問題の解決ならびに経済協力に関する協定」)が締結されました。
同協定第2条1項には、
「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに
両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、1951年9月8日に
サン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、
完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とあります。
請求権で「完全かつ最終的に解決された」のか?
[ 画像:書映 戦後日韓関係 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
そこで、この「完全かつ最終的に解決された」請求権がどんな内容で、
どう処理されたのか確認したいと思います。
第一に、韓国側の対日請求権の内容について、日本の外務省は
「 日本からの韓国の分離独立に伴って処理の必要が生じたいわゆる戦後処理的性格をもつ 」
ものとして理解していました。
つまり、それは、日本が植民地朝鮮を合法支配したという前提とした「戦後処理」ということです。
> 日本が植民地朝鮮を合法支配したという前提
日本が朝鮮半島を併合したのが違法? まだそんな寝言をいってるのか。
YAHOO!知恵袋「日韓併合は合法的に行われた?」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412597704
> abinaikaさん
>
> 日韓併合は合法的に行われた?
>
> 日韓併合は合法的に行われたと思いますが、
> なぜ日本は補償だ何だと朝鮮人からゆすられるのですか?
> 違法性があったのですか?
> ベストアンサーに選ばれた回答
>
> angkorwat5151さん
>
> 当時、国際法があったとしても、結局は欧米列強が是認するかどうかが、
> 正しいか正しくないか、の基準だった。
>
> そして、『併合』について、列強は反対していない。
>
> 「 日韓併合は、世界中の国々に賛成されたうえでのことだった。
> それに至るまでにはロシアのコリア占領を阻止するための日清、日露戦争での
> 日本の勝利というプロセスがある。
> 日露戦争の勝利でコリアにおけるロシアの影響力を排除した日本は
> コリアを保護国にする。 保護というのは、支配したのではないし併合でも占領でもない。
> 清国や欧米列挙もこれに進んで同意した。
> 日本も保護は一時的な措置であって、やがてコリアに主権の回復をさせるつもりであった。
> とくにコリア総統府の初代統監である明治政府の元勲・伊藤博文はその意向が強かった。
> ところがこの伊藤博文をテロリストの安重根が暗殺したことで多くの日本人が怒った。
> コリアの人々も日本の怒りに怯え、コリアの最大政党・一進会がみずから
> 日韓併合を持ち出した。
> それでも日本は国際世論を尊重してアメリカ、イギリスに同意を求めた。
> アメリカは”コリア半島は日本のものである(セオドオ・ルーズベルト)”と賛成、
> イギリスも外務大臣が歓迎声明で応えてくれた。
> 日本はさらにフランス、ドイツ、イタリア、ロシア、清国などにも
> 了承を得てからやっと日韓併合に踏み切った。
> 国際的にも日韓併合は正当性があったということです。
>
> www8.ocn.ne.jp/~senden97/nikkanheigo1.html (消えています)
>
>
> 「WILL 11月号 平成18年度」
>
> Q:「 日韓併合条約は日本帝国主義の一方的な圧力によって締結された。
> 大韓帝国皇帝の印璽がなかったから無効だ 」
>
> A: たとえ「平等合邦」ではないなど双方に賛否両論あったとしても、
> 万国が承認したことなのです。反対すべきだった清、ロシアでさえ承認しましたし、
> 抗議声明もなかった。
> 皇帝の印璽については、皇帝は名目的存在なので行政権限はありませんでした。
> 当時の行政権は韓国の内閣首相にあったのですから、
> 皇帝の印璽は必要のないものでした。
>
>
> Q:「 皇民化教育は民族の伝統や文化を無視し、ときには破壊した民族浄化政策だ 」
>
> A: 皇民化はリンカーンの功績以上の階級・奴隷解放運動です。
> 半島にはカースト制度があったといっても過言ではない。
> 賎民の奴隷、芸人、巫医、巫女、白丁などの階級支配からの解放だったのです。
> 皇民化政策は「国民化政策」と同義です。
> 近代国民国家の国民化、近代化運動と見るべきです。
>
>
> Q:「 朝鮮総督府は韓国に一切、貢献していない 」
>
> A: 総督府の貢献を挙げましょう。
>
> @ 教育制度の確立
> A 近代司法制度の確立
> B 財政再建
> C 治山治水、国土改造
> D インフラの基礎整備
>
> 最も大きかったのは李朝時代以来の牢固たる身分差別、
> 公私奴婢の階級制度を廃止し、リンカーン以上の奴隷解放を行ったことです。
> 万民平等の土台を作ったのは朝鮮総督府の働きによるものです。
>
> 京城帝大をつくったのも日本だし、韓国の学校制度なんか日本そっくり。
> 学生服まで同じです。 韓国の学生はそんなことも知らずに詰襟を着ているんでしょうね。
>
> 日本によってはじめて朝鮮は近代社会、近代国民国家の土台をつくることができたのです。
>
>
> Q:「 日韓併合時代に韓国人は倭人に文化を教えたのに、半島の文化を悉く破壊した 」
>
> A: 全くのウソです。 統一新羅以来、朝鮮人は自分自身の文化を破壊してしまったのです。
> 前朝の文化破壊は朝鮮人の伝統で、民族性。
> 現在でも後任の大統領は前任の大統領を粛清することが儀式化しています。
★★★ 日本再生ニュース ― 保存用 ★★★
◆ 英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる
http://sakura4987.exblog.jp/3264568
>
> http://toron.pepper.jp/jp/20cf/heigou/sankei.html (消えています)
>
> 2001年16・17日に、アメリカのボストン・シェラトンコマンダーホテルで、
> 日韓併合についての国際法の学術会議が開催されたらしい。
>
> その時の会議のレポート3編を、それぞれの視点で報告していて、興味深いので
> 掲載しておきます。
>
> 1、産経新聞・黒田勝弘氏のレポート
> 2、oppekepe7氏の調査報告
> 3、東亜日報の記事
>
> ---------------------------------------------------
>
> 以下は、東アジア「反日」トライアングル、古田博司著 文春新書より引用。
>
> 日韓の間で歴史をめぐってどんな論争があったかということは、
> 意外と一般には知られていない。
>
> たとえば、韓国側はいまでも日韓併合は不法だったといい、
> これを学会では「日韓併合合法不法論争」と評している。
>
> そこでこの問題をめぐって岩波の『世界』誌上で
> 日韓の学者がかつて争ったことがあったが決着がつかず、
> 2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で
> 国際学術会議が開かれることになった。
>
> これは韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもとに、
> 韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。
> 韓国側はもちろん、国際舞台で不法論を確定しようと初めから企図し、
> そのために国際学術会議を持ったのであり、それを謝罪と補償の要求の根拠に
> したかったことは明白であった。
>
> そしてそこにはアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まり、
> 日韓併合の歴史をどう考えるかということで論争が行なわれたのである。
>
> この様子は、当時、『産経新聞』の2001年11月27日の記事ぐらいでしか公表されず、
> 一般の目にはほとんど触れなかった。
> が、これはとても大きな、重要な会議だったのである。
>
> 韓国側はまず、いかに日本が不法に朝鮮を併合したかということを主張した。
> ところが、国際法の専門家でケンブリッジ大学のJ.クロフォード教授が
> 強い合法の主張を行なったのである。
>
> それは当時の『産経新聞』の記事によると、
>
> 「 自分で生きていけない国について周辺の国が国際秩序の観点から
> その国を当時取り込むということは当時よくあったことであって、
> 日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった 」
> という主張であった。
>
> 当然、韓国側はこれに猛反発し、日本に強制されたということを主張したわけだが、
> 同教授は、
>
> 「 強制されたから不法という議論は第一次大戦(1914〜18年)以降のもので、
> 当時としては問題になるものではない 」
> と、一喝した。
>
> その会議に参加した友人の学者によると、
> この結果、韓国側は悄然と肩を落として去っていったという。
>
> 韓国側のもくろみは失敗に終わったのだが、
> 日本では当時この様子はほとんど報道されることがなかった。
>
> ----------------------------------------------
>
> そして、この会議に出席した県立広島大学の原田環教授が、、
> 最近、この点に関して非常に新しい実証的な研究成果を上げられた。
>
> それは、「青丘学術論集」という論文集の2004年の第24集に掲載されたもので、
> 「第二次日韓協約調印と大韓帝国皇帝高宗」という題の論文である。
>
> この論文によれば、
>
> 第二次協約の調印のときに高宗という王と、その周りに5人の大臣たちがいたが、
> その5人の大臣たちが、すべて終わった後に王に上奏文を提出した。
>
> その史料はこれまで埋もれていて、研究されたことがあまりなかったのだが、
> 原田教授はそれを初めて評価され、同協約の締結に関して韓国の高宗皇帝が、
> 日本側の協約案を修正し調印する方向に、すなわち交渉妥結ということで
> 一貫した行動をとったということを実証された。
>
> したがって、第二次日韓協約は韓国の高宗皇帝の意図に沿って行なわれたものだった
> ということが分かってしまったのである。
>
> これは朝鮮史研究上の非常に大きな成果であって、これからこの線に沿って
> 研究も行なわれていくと思われる。
>
>
>
> 英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる
>
> ----------------------------------------------
>
> 【ソウル26日=黒田勝弘】
>
> 日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている
> 日韓併合条約 (一九一〇年)について合法だったか不法だったかの問題をめぐり、
> このほど米ハーバード 大で開かれた国際学術会議で第三者の英国の学者などから
> 合法論が強く出され、国際舞台で不法論を確定させようとした韓国側のもくろみは
> 失敗に終わったという。
>
> 会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らから
> 出され
>
> 「 自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点から
> その国を取り込むということは当時よくあったことで、
> 日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった 」
> と述べた。
>
> また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても
> 「 強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(一九一四−一八年)以降のもので
> 当時としては問題になるものではない 」
> と主張した。
>
> この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で十六−十七日開かれたが、
> 韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し韓国の学者の主導で準備された。
> これま でハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米のほか英独の学者も加え
> いわば 結論を出す総合学術会議だった。
>
> 日本からは海野福寿・明大教授や笹川紀勝・国際基督教大教授、
> 原田環・広島女子大教授ら五人が参加したが、海野教授の 「 不当だが合法 」 論や
> 笹川教授の不法論など見解が分かれた。
>
> 韓国側は 「 条約に国王の署名がない 」 ことなどを理由に不法論を主導している
> 李泰鎮・ ソウル大教授はじめ全員が不法論で、会議をリードしようとした。
>
> しかし日本の原田教授は併合条約に先立ち日本が外交権を掌握し韓国を保護国にした
> 日韓保護条約(一九〇五年)について、皇帝(国王)の日記など韓国側資料の「日省録」や
> 「承政院日記」などを分析し、高宗皇帝は条約に賛成し批判的だった大臣たちの意見を
> 却 下していた事実を紹介し注目された。
>
> 併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、
> 国際法上必ずしも必要なものではないとする見解が英国の学者らから出されたという。
>
> 日韓併合条約については韓国や北朝鮮からは、いまなお執ように不法論が出され
> 謝罪や補償要求の根拠になってきた。
> 日韓国交正常化の際も激しく対立したが、合法・不法の結論は出さず 「 今や無効 」 との
> 表現で国交正常化(一九六五年)にこぎつけた経緯がある。
>
> 産経新聞2001.11.27
2010/06/13 tsujimoto blog
大韓民国臨時政府樹立は、日韓併合合法が前提だった
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/06/13/5158377
> 1910年の日韓併合は不法であったとする主張が、韓国では強く打ち出されています。
>
> 当時は大韓帝国の時代であり、主権は皇帝(純宗)にありました。
> 併合条約では第一条に、
>
> 「 第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ
> 完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス 」
> http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国併合ニ関スル条約
>
> とあります。
> 従って、日韓併合条約が不法であるとする主張からすると、
> 韓国皇帝は日本の天皇に統治権を譲与していないことになりますので、
> 大韓帝国、つまり韓国皇帝が主権を有する国家体制は存続していなければなりません。
>
> ところが現在の韓国の原点というべき「大韓民国臨時政府(上海臨時政府)」(1919)では、
> 併合後10年も経っていないにも拘わらず、君主制を否定し、共和制となっています。
> http://ja.wikipedia.org/wiki/大韓民国臨時政府
>
> この経過について、韓国の研究者は次のように論じています。
>
> 「 独立運動過程で、自然と国家の主権について議論がされてきた。
> 結論は共和主義であった。
> 1917年(ママ)、上海の独立運動家たちは全民族が大同団結して
> 臨時政府を樹立することを提案した‘大同団結宣言’がそれである。
> これは大韓帝国の滅亡について君主である隆熙皇帝が主権を放棄したものと見て、
> 君主が放棄した主権は国民が継承せねばならないとした。」
> ( 韓シウン・檀国大学 歴史学科 教授 『朝鮮日報』2009年3月18日付 )
> http://6322.teacup.com/tsujimoto/bbs/8
>
> つまり大韓民国臨時政府は、大韓帝国の滅亡(=日韓併合条約)によって
> 韓国皇帝は自ら主権を放棄したから、国民が主権を継承した。だから共和制だ、
> という主張です。
>
> すなわち、大韓民国臨時政府樹立の前提は、大韓帝国の否定、
> つまりは日韓併合条約が有効だということになります。
>
> 併合条約以前の大韓帝国と、その後の臨時政府や現在の韓国とは全く断絶していることは、
> 彼ら自身が認めていますが、その前提は日韓併合条約が合法・有効であったことになります。
>
> (参考)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/05/549358
> http://6322.teacup.com/tsujimoto/bbs/9
> http://6322.teacup.com/tsujimoto/bbs/10
> http://6322.teacup.com/tsujimoto/bbs/11
> http://6322.teacup.com/tsujimoto/bbs/12
史実書きかえは韓国の方が困る 筑波大学大学院教授・古田博司
MSN産経ニュース 2010.8.16 03:11
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n1.htm ( 魚拓 )
> 今年は日韓併合100年記念ということで、韓国で日韓併合条約無効論が盛りあがりを見せ、
> 日本の非良心的・反進歩的知識人が5月に、それに同調する声明を出した。
> 今回、自信喪失内閣が、首相談話で「無効」論に荷担しなかったことは、
> ひとまず慶賀しなければなるまい。
>
>
> 「無効」では辻褄が合わなく
>
> 遠く異朝をとぶらえば、朝鮮王朝などという王朝はなかった。 朝鮮国の李朝である。
> この李朝は高麗武将のクーデターによる簒奪(さんだつ)王朝である。
> 国名は明に決めてもらった。
> 米ハワイ大学図書館には朝鮮から中国への書状の写しが残されているが、
> 17世紀から18世紀までの4人の王の賀状が含まれている。
> 即位の年には、「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する
> 臣下の李」とはっきり書かれている。 朝鮮は中国の属国であった。
>
> 19世紀に入り、日清戦争の結果、下関条約により朝鮮は独立し、大韓帝国となった。
> その後、1910年に日韓併合されて日本植民地となるのだが、
> 2001年の国際会議で英ケンブリッジ大学の国際法学者、J・クロフォード教授が
> 主張されたように、
> 「 強制されたから不法という議論は第一次世界大戦以降のもので、
> 当時としては問題になるものではない 」。
>
> しかし韓国では、併合条約は強制されたもので、不義不当であり、ゆえに不法無効である
> と言いつづけている。
> 無効では勿論(もちろん)ないが、かりに無効だとすれば、かえって困ることになるのでは
> ないか。 下関条約以降、今日までずっと独立国だったということになる。
> さすれば、当時の大韓帝国の主権であった王権は一体いつ消滅したのか。
> 民権にいつ移行したのか。 27代の王、純宗が1926年に逝去する。
> 子の李垠は戦後まで王宮に帰らなかったので、純宗の死と共に王権は消滅したのである。
> 大韓民国が民権をもってスタートするのは、1948年の建国以降であるから、
> それまでの22年間、主権の空位が生じてしまう。
> 「日本国権署国事期」とでもするのであろうか。
>
>
> 「不幸な歴史」は認めるが…
>
> 韓国の歴史が不幸であったことは筆者も認める。
> 中国の属国から、近代日本にもぎ取られて植民地となり、国権は失ったものの、
> ようやく白衣貧窮の古代経済から解放された。
> 年平均3.7%の経済成長を遂げ、近代日本によって移植された民法典と私有財産制は
> 朝鮮人すべての財産を守った。
> コメは増産され、経済法則に則(のっと)って日本に輸出された。
> これらはすべて、韓国の経済史学者らによって実証されたことである。
>
> しかるに、戦後、38度線で体制が北と南に分裂した。
> 北はソ連の傀儡(かいらい)国家から始まり、主体思想により自立の道を歩もうとしたが、
> 経済の不振はふたたび朝鮮を中国の半属国の地位におとしめてしまった。
> 中朝の歴史をフラッシュバックするように、北はしょっちゅう中国へお伺いを立てに行く。
>
> 韓国は一層努力した。 前身は、属国と植民地だけの歴史である。
> 独立は自力で勝ち得たものではなく、アメリカから棚ぼた式で降ってきた。
> そして三方を海に囲まれ、北方には行けず、いわば「島化」したのだが、
> この困難な状況下で国民国家として何とか自立しなければならなかった。
> そのため他律性そのものであった歴史を自立的な歴史に書きかえようと奮闘した。
> それを日本の左派学者たちが虚偽の学説で支援しつづけた。
>
>
> ≪教育の改悪を止めること≫
>
> 彼らは言った。 朝鮮の農村マニュファクチュアは1860年代に成立していた、と。
> 日本では桜田門外の変の頃である。
> あり得べくもない話だが、その資本主義の萌芽を植民地日本が摘んでいったのだと、
> 韓国の左派学者は主張した。
> ちなみに現在のイギリス史では、農村マニュファクチュアが資本主義の萌芽になることを
> 既に否定している。 毛織物では寒い地方しか着ないから販路が狭すぎる。
> 独立自営農民たるヨーマンは、もうけると皆地主になった。
> 資本主義は綿織物をもってインドとの三角貿易に従事したジェントリーが起こしたものである。
> これを現在のイギリスで「ジェントルマン資本主義」と称している。
>
> 韓国は立派に資本主義国家として自立し、歴史上初めて中国の影響下を脱することが
> できたのである。
> 最早(もはや)これ以上、歴史を改竄する必要がどこにあるのだろうか。
>
> もうよい、韓国人よ、正気にもどれ。
> 韓国の歴史教科書がひどい内容であることは、韓国の心ある人々はもうみんな知っている。
> 日本人も、非良心的・反進歩的知識人以外はみんな分かっている。
> 教育がこれ以上悪くなれば、推計300万といわれるアメリカ等への脱南移民は
> さらに増えることだろう。
> タイムマシンに乗ったつもりで、過去の事実を書きかえれば書きかえるほど、
> 現在との矛盾に苦しむのは寧(むし)ろあなた方なのだ。
>
> 最後に、日本人の優しさから今回貴重な図書を渡すが、どうか行方不明の例を
> これ以上作らぬよう、保管力を是非高めていただきたい。
>
> (ふるた ひろし)
一分の疑いの余地すらない。 完全に合法です。
[ 画像:書映 日韓交渉 省略、(引用元アドレスをご参照ください)
この協定が締結された後に、労働省、大蔵省、厚生省などが消滅させようとした
韓国側の個人請求権を見ても、郵便貯金や未払金などの、植民地期の法律関係を前提とする
ものです。
日韓請求権協定で「解決」された請求権は、「慰安婦」問題などの戦争犯罪による
被害については想定されていなかったのです。
想定も何もこれまで述べて来た通り、旧日本軍及び日本政府の命 ( 或いは旧日本軍及び日本政府
の強い依頼によって ) 将兵や慰安所に関わる業者が拉致・誘拐、あるいは甘言を用いて騙して慰安
婦にした痕跡は、自称従軍慰安婦婆さまの裏付けがない、証言の度に二転三転し、人によっては何故
か朝鮮戦争時代のキーワードが散見する“証言”を除いて、存在しません。 そして、日韓併合当時の
朝鮮半島における官憲の実に6割が朝鮮人でした。
→ ソース:2011年11月14日 ちゃぬの裏韓国日記
日韓併合時代は警察官の6割が朝鮮人だった
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11078024864.html
こんな状況下で子供や妻が突然に姿を消したら、親や夫が半狂乱になって探します。
極悪非道なチョッパリ警官が聞く耳を持たなくても、正義感溢れる有能な朝鮮人警官が見逃しませ
ん。
( Q&A編 - 2 慰安所における実態 - 1 文書がないから事実(被害)を証明できないか?で詳細
に説明させて頂きました。 よろしければご参照ください )
ですから、「慰安婦」問題とは、旧日本軍及び日本政府の与り知らない所で一部の将兵や慰安所に
関わる業者が、“勝手に”拉致・誘拐、あるいは甘言を用いて騙して慰安婦にした「だけ」なのです。 こ
れは旧日本軍及び日本政府の戦争犯罪ではありません。 個人としての将兵の、或いは、個人として
の業者の犯罪です。
他の民間企業と比べて犯罪の発生率が50倍にもなる犯罪者の巣窟NHKでも、一介の職員が起こし
た犯罪の損害をNHKは補償する事はありません。 それは、普通の犯罪発生率であるその他の企業
でも、警察組織の様な役所関係でも同じです。 ですから、幾ら日本人将兵が慰安婦の酷い扱いに関
与した記録を羅列したことろで、それが旧日本軍および日本政府の責になるわけではありません。
個人の犯罪はどこまで行っても個人の犯罪です。 旧日本軍や日本政府の責にしたいのであれば、
それなりの証拠をださなければなりません。 その犯罪が旧日本軍や日本政府の命 ( あるいは依
頼 ) によって行われたという証拠を。 それが出来ないのであれば、何もかもが無効です。 黙ってい
なさい。
第二に、韓国側の対日請求権の処理方法について、外務省は外交保護権の放棄だけを
想定していました。 このことについて、外務省の説明に沿って考えてみましょう。
その要点は二つです。
第一に、外交保護権とは
「 自国民に対して加えられた侵害を通じて、国自体が権利侵害を蒙ったという形で、
国が相手国に対して国際法のレベルにおいて有する請求権 」
です。
第二に、したがって、国は私人の代理人ではありません。
「 国は自己の裁量により、この種請求を提起するか否かを決定することが出来、
また相手国による請求の充足に関してもどのような形、程度で満足されたものとするか
それを被害者にどう分配するか等につき、完全に自由に決定することが出来る 」
というのです。
つまり、外交保護権とは、自国民の権利侵害を国自身がこうむったものと見なし、
国の裁量で行使するものというわけです。
このような考えに基づいて、日本政府は日韓両国が外交保護権を放棄したことにより、
私人の権利が消滅したかどうかを曖昧にしたまま、相手国または相手国民の財産を
それぞれ処分してよいと判断しました。
その結果、日本政府は日本の国内法として韓国人個人の請求権を消滅させる措置として、
1965年12月17日に
「 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する
日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う
大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律 」
を制定したのです。
論議されなかった「慰安婦」被害
なお、日韓請求権協定が締結されるまでの交渉では、「慰安婦」問題は
ほとんど議論されませんでした。
外交文書で一度だけ確認できますが、それは韓国側の代表が
「 日本あるいはその占領地から引揚げた韓国人の預託金 」
を議論する文脈で、「慰安婦」の事例を出したに過ぎず、「慰安婦」の被害に関する内容を
含まないものでした。
日韓請求権協定では、日本の朝鮮植民地支配とアジア侵略戦争によって引き起こされた
「慰安婦」の被害に対する歴史的責任の問題が解決されたと言うことはできません。
アメリカの戦時情報局Office of War Information(OWI)のレポート第49号(1944.10.1)に
http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
> RECRUITING;
>
> Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose
> of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese territories
> in Southeast Asia.
> The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected
> with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages,
> and generally making the soldiers happy.
> The inducement used by these agents was plenty of money,
> an opportunity to pay off the family debts, easy work,
> and the prospect of a new life in a new land,
> Singapore. On the basis of these false representations many girls enlisted for overseas
> duty and were rewarded with an advance of a few hundred yen.
>
> The majority of the girls were ignorant and uneducated,
> although a few had been connected with "oldest profession on earth" before.
> The contract they signed bound them to Army regulations and to war for
> the "house master " for a period of from six months to a year depending on the family
> debt for which they were advanced ...
> 募 集;
>
> 1942年5月初旬、日本の斡旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された
> 東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を募集するため、
> 朝鮮に到着した。
> この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、
> 包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると
> 考えられていた。
> これらの周旋業者が用いる誘いのことばは、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、
> それに、楽な仕事と新天地シンガポールにおける新生活という将来性であった。
> このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、
> 2〜3百円の前渡金を受け取った。
>
> これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかかわっていた者も
> 若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。
> 彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて
> 6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
とあります。
旧日本軍及び日本政府の命 ( 或いは旧日本軍及び日本政府の強い依頼によって ) であったの
か、それとも旧日本軍及び日本政府の与り知らなかったのか、それは定かではありませんが、少なく
と も1944年10月の時点で、一部の将兵や慰安所に関わる業者が、甘言を用いて騙して慰安婦にして
い た事実が暴露されています ( ただし、客の同情を引いて、規定以上の代金をふんだくる為に慰安
婦が吐いた嘘である可能性は濃厚に存在します )。
そして、日韓請求権協定が1951年10月頃から交渉が開始されました。
→ ソース:wikipedia「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
- 2 条約交渉の経緯
> この交渉の背後には1951年7月頃からアメリカ政府の主導があったことが
> 知られており、当時の李承晩大統領が韓国を「戦勝国」として
> サンフランシスコ講和条約に参加することを求めたものの、
> 第二次世界大戦当時には既に朝鮮半島が日本の統治下にあり、
> 日本と交戦する関係になかったために「戦勝国」して扱う根拠がないことから
> アメリカやイギリスをはじめとした連合国側から拒絶され、「当事国」になることが
> できず、李大統領が日本政府との直接対話を希望し
> 東京の連合軍最高司令部(SCAP)でシーボルド外交局長の立会いのもとに
> 会談(予備会談が1951年10月20日から)が開始された経緯がある[2]。
つまり、交渉段階で、一部の将兵や慰安所に関わる業者が、甘言を用いて騙して慰安婦にしていた
という事は分かっていたのです。
にも拘らず、強制連行の被害としての「慰安婦」問題はほとんど議論されませんでした。
なぜ知っていたのに議題にしなかったのでしょうか。
常識的に考えれば、そんなしょうもない些細な事件に拘っていられないほど、検討すべき議題が山積
みだったからです。
→ ソース:wikipedia「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約
- 条約交渉の経緯
> 交渉では、「李承晩ライン」以降韓国が不法占拠を続けていた
> 竹島(独島)をめぐる漁業権の問題、戦後補償(賠償)の問題、
> 日本在留の韓国人の在留資格問題や北朝鮮への帰国支援事業の問題、
> 歴史認識を含めた謝罪の問題など当初から多くの問題を含んでおり
日本軍兵士が直接に拉致・監禁して慰安婦にしたというならマダしも、甘言を用いて騙して慰安婦に
した、なんて次元の話では付き合っていられる時間がありません。 そもそも、韓国では
2012年01月06日 黒マッチョニュース
【話題】 韓国芸能界の闇、“性奴隷”
・・契約と同時に事務所の人間が強姦的にセックスビデオを撮影。それで逃げないようにする
http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1594499.html
> 「 韓国では事務所主導で性接待させるのは当たり前。
> 整形はもちろん、ギャラだってデビュー当時の契約が10年単位で続くなんてのは、
> よくある話。
> 紅白に出る『KARA』にしても今年、ギャラをめぐって解散危機に遭ったことは
> 日本のマスコミでも大きく取り上げられました」 (芸能ライター・蝦名康雄氏)
>
> とくに今年3月には、'09年に29歳で自殺した女優のチャン・ジャヨンさんが
> SEX接待を強要されたという話が浮上。 警察も捜査する事態に発展した。
>
> 「 結果的にはそのような事実はないということで落着しましたが、
> では韓国で性接待がないかというと、誰もそう思っていない。
> 有名になるため、体で仕事を取るのは仕方がないという風潮もあります 」 (蝦名氏)
>
> 6、7年前には、歌手のペク・チヨンとマネジャーとのセックス映像がネットに流出し、
> 大騒ぎになったこともある。
> 「 韓国では契約と同時に事務所の人間が強姦的にセックスビデオを撮影。
> それで逃げないようにすることもある。
> このセックスビデオの存在で、人気女優のOやFが引退することになったのです 」
> (韓国系ジャーナリスト)
>
> だから『KARA』にしろ、同じく紅白に出場する『少女時代』にしろ、
> どのような扱いを受けてきたか気になるところでもある。
>
> 「 韓国の芸能人は、みんな日本進出を狙っている。
> そもそも韓国の芸能界のギャラは、日本に比べて10分の1程度。
> アイドルでも年収1000万円、2000万円という日本の芸能界のようなことは絶対ない。
> けっこうな人気女優でもファストフードの食事しかできないほど 」 (同)
>
> となると、やはり体を使ってでも仕事をするしかないのか。
> そう思わせる衝撃的な情報も本誌は入手した。
> そこから得た答えは、やはり韓国には“性奴隷化”が存在するのではないかということ。
という風に今も“甘言を用いて騙して”なんてレベルを超越した広義の強制連行が行われており、大
東亜戦争時代に於ける広義の強制連行レベルなら
2012年10月04日 ネトウヨにゅーす。
韓国 「慰安婦も韓国風俗嬢も
・・・ 日本は悪の巣窟。 日本による最大の被害者は韓国女性だ」
http://netouyonews.net/archives/7490140.html
《前略》
>
> 韓国はあれだけ“日本嫌い”をアピールしておきながら、
> 不思議なことにスカウトされてやってくる女性が後を絶たない。
> しかも韓国の国会議員によると、国外で売春をしている韓国女性は10万人以上おり、
> 関係者によると、そのうち「5万人が日本にいるとされる」というから、
> もはやあきれるほかない。
> だが、その裏にはこんな事情があった。
>
> 「 韓国では2004年、性売買特別法が施行され、風俗への取り締まりが厳しい。
> 風俗街の摘発がすさまじく、客が激減し風俗店も半減した。
> 風俗嬢は日本の鶯谷に流れ込んでいるのです 」( ある韓国人ジャーナリスト )
>
> それでいて、韓国内では「日本は悪の巣窟」と報道されている。
> 「 韓国では
> 『 日本の人身売買対策が不十分で、日本による最大の被害者は韓国女性だ 』
> という内容です 」 ( 同 )
>
> 今回の逮捕劇を見ても、実際に韓国人ブローカーが動き、
> 韓国人経営者が韓国女性をカネでスカウトして売春させていたのは明白だ。
> それなのに、客としてカネを払っている日本人だけを「加害者だ」と言い張っているわけだ。
>
> 従軍慰安婦問題にも共通しているというのは、事情に詳しいジャーナリストだ。
>
> 「 戦中に朝鮮半島から従軍慰安婦を募集した多くは朝鮮人ブローカー。
> 新聞広告などで破格の高給をエサに女性を集めた。 その構図は今回と同じ 」
> と説明。
> ただし根本的に違う点は当時、公娼がれっきとした職業で、
> 募集活動も法にのっとったものだったこと。
>
> 「 その慰安婦について、韓国は今になって
> 『日本軍は強制的に連れ去り、性奴隷にした』
> と歴史的証拠がないにもかかわらず、捏造証言を引っ張り出して言い張るんですから、
> ほとほとあきれます 」 ( 同ジャーナリスト )
>
> 風俗ライターは
> 「 鶯谷の韓国デリヘルといえば、昔はぼったくりでしたが、
> 今は20代の整形美女で外見的なハズレが少なく、本番アリが基本。
> そもそも韓国では日本のヘルスやピンサロのようなライト風俗はなく、
> 生かゴムかなどの違いはあっても必ず本番がある 」
> と指摘する。
>
> 法律違反と知りながら他国で売春行為を繰り返し大金を稼ぎ、
> 「そっちが悪い」と言い張っているのだから、つくづく奇妙な国だ。
> 16: ソマリ(チベット自治区):2012/10/04(木) 16:34:05.07 ID:dZU+Ywo90
> <丶`∀´> 指紋を偽造してまで入国しようとする韓国人女性、それでも被害者ニダ!
> 35: ライオン(大阪府):2012/10/04(木) 16:39:42.82 ID:LkxpPcu/0
> やっぱ、現代の風俗嬢も日本のせいになってんのなw
> もう、自ら、戦時中の慰安婦が強制じゃなかったって証明してるようなもんだろw
2013.08.18 ちょっとアレなニュース
【やっぱり言い出したw】 多くの韓国女性が今も強制的に風俗嬢にされてる
従軍慰安婦の動かぬ証拠だ
http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-3379.html
> 人身取引は「現代の奴隷制度」 日本の性風俗産業に厳しい視線
>
> 「現代の奴隷制」ともいわれる人身取引。
> 特に日本人の女性が性風俗産業で強制的に働かされるケースが増えている。
> 人身取引は過去の話でも外国の出来事でも決してない−。
> 被害者支援に取り組む関係者は
> 「 身近な問題として考えてほしい 」
> と訴えている。
>
> 「 国籍を問わず、性風俗産業に身を置く多くの女性は、
> 決して自由な意思で働いているわけではない 」
>
> そう強調する藤原代表が問題視するのは、
> 女性や子どもの性をめぐる日本社会の意識の低さだ。
>
> 性的サービスに従事する女性が被害者だとの認識がなく、逆に根強い偏見を持つ。
> 女性を性の商品とみる傾向が強く、人権侵害との視点を欠く
>
> 藤原代表は性的描写が目に余る雑誌やラブホテル、繁華街の客引きや性風俗店といった
> 「 性的搾取を誘発する要素が身近な場所で氾濫する状況にメスを入れるべき 」
> と訴える。
> 8: タイガースープレックス(長屋) 2013/08/18(日) 10:25:07.09 ID:R5FnjSJ00
> 自主的に強制連行されるのか
> 新しいなw
> 19: キャプチュード(東日本) 2013/08/18(日) 10:31:06.89 ID:PazzuJGT0
> チョンが勝手に入ってきて売春してるのにこれだもんな。
> どうかんがえても当時も同じだろw
韓国中の至る所で大絶賛継続中です。
日本に武力がないのをこれ幸いと、独断で公海上に「李承晩ライン」を引いた李承晩大統領でさえ
も、まさかこんなしょーもない(韓国なら)どこにでもある広義の強制連行で日本を強請れるなんて思い
もしなかったことでしょう。
そもそも、李承晩大統領が 「 狭義は勿論、広義の強制連行も許されない非人道的行為である 」 と
認識していたら、戦後すぐに20世紀最悪の集団性暴力は起こりませんでした。
そう。 韓国政府がひた隠しにし続ける今世紀最悪の集団性暴力 “ 韓国軍慰安婦 ” です。
http://ja.wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦
> 連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
>
> 第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、
> 朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。
>
> 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ日本軍将兵を相手にした
> 慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[12][16][9]。
> 1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、
> 基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた[9]。
> 富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、
> キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地
> だった[9]。
>
> 第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があり、
> これも日本軍将兵も利用した公娼地域であった[9]。
> ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、
> 大田の中央洞などの公娼地域も同様に引き継がれた[9]。
>
> 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって
> 性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた[9]。
>
>
> 朝鮮戦争と特殊慰安隊
>
> 1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。
> 同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。
> しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。
>
> 朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。
> 韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[7][2][17]。
>
> 大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[18]。
> 韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を
> 作成していた[2][3]。
> 部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[6]。
> 韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店し
> アメリカ兵も利用した[6]。
>
> 韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[19]に
> 大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する
> 目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。
>
>
> 「特殊慰安隊」
>
> 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、
> 固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは
> 韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と
> 目撃者たちの証言によって裏付けられた[20]。
>
> 韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、
> 組織的体系的に慰安婦制度をつくった[21][22]。
>
>
> 第五種補給品
>
> 尉官将校だった金喜午の証言では、
> 陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」とよばれた[21][23]。
>
> 軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[21][23]。
>
>
> 韓国軍慰安婦の類型
>
> 金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、
> 昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例も
> あった[21]。
>
> また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[24]。
>
>
> 設置理由
>
> 特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、
> これは日本軍慰安婦と同様のものであった[21]。
> 計画は陸軍本部恤兵監室が行い[21]、1950年7月には韓国政府は軍作戦識見を
> 米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[21]。
> 韓国政府・軍は慰安婦に対して
> 「あなたたちはドルを得る愛国者」
> として「称賛」されたという[25][9]。
>
>
> 慰安婦の輸送方法
>
> 慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めて
> トラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[22][6][26]。
少なくとも日本の敗戦から僅か4年後に勃発した朝鮮戦争において、米軍は韓国という優秀な下僕を
得て、下僕に追軍売春婦の管理を丸投げしていたのです。
旧日本軍だって朝鮮人女衒に丸投げすることは可能でした。 だけど、朝鮮人に丸投げしたら、集ま
ってくれた慰安婦の方々にどんな酷い仕打ちをするか分かったもんじゃない。 だから『軍の善い管理』
を行ったのです。
実際問題、朝鮮人に丸投げした為に、朝鮮戦争時の特殊慰安隊は本当に酷い事になりました。
2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
> 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
> 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
> 韓国の慰安婦はこれだけではない。
>
> 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
> 組織的に軍の管理下に置いた。
> 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
> ものであった。
>
> さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
> 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって
> 捕えられ、強制されて慰安婦にされた者もいた。
> これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、
> 性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
>
> 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
> 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
> として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
> 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。
Hatena::keyword「特殊慰安隊」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
> 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
> 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
> 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、
> そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の
> 占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
> まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けた
> の名目で強制的に性奴隷にした。
サヨクが人道に反する罪と弾劾して憚らない日本軍の慰安婦問題において、このような酷い人権蹂
躙はありません。
時系列が
1948年8月15日 大韓民国 建国
1950年6月25日 朝鮮戦争 勃発、
↑
この間に『韓国軍慰安婦』が生き地獄を味わう
↓
1951年10月20日から日韓基本条約の予備会談が開始、以降内容を煮詰めて行く
↑
この間も朝鮮戦争は継続し、『韓国軍慰安婦』の生き地獄も継続する
↓
1953年7月27日 朝鮮戦争 休戦
1965年6月22日 日韓基本条約 締結
なのですから、日韓基本条約に慰安婦問題を盛り込めるワケがないのです。
・・・という話になると、今度は、頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かびますね。
こんなに悪逆卑劣な自国版従軍慰安婦を作って運営した韓国政府が、比較すれば足元にも及ばな
い甘っちょろい日本版元祖慰安婦に対して謝罪と賠償(正しくは『賠償のおかわり』)を求める様になっ
たのか?と。
それはもう、日本のサヨクが『従軍慰安婦』という「人道に反する罪」を発明し、それを反政府組織で
ある朝日新聞が故意の誤報を混ぜて報じた所為で、韓国政府に 「 もしかしたらコレは使えるかも 」 と
いう希望を持たせてしまったからです。
従軍慰安婦の時系列がこちらです。
検証:朝日報道
http://www.geocities.jp/tamacamat/ianfu.html
01: 慰安婦問題年表
┌──┬─────────────┬─────────────────────┐
│ 年 │ 事 件 │ 詳 細 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1983│吉田清治手記出版 │若い女達を木剣で殴りけりトラックに詰め込ん│
│ │ │だ・・・・・等、ひたすら扇情的な内容。彼は│
│ │ │朝日の懸賞小説に応募して佳作になったストー│
│ │ │リーテラー。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1989│同書韓国訳出版 │ │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │元慰安婦探し │青柳某が訴訟費用は負担します、と韓国ビラ配│
│ │ │りの旅。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1991│朝日記事スクープ │軍に強制連行された元従軍慰安婦が名乗りをあ│
│ │ │げた..。植村記者は彼女が親に売られた...と │
│ │ │言っているのを知りながら強制連行に捏造して│
│ │ │記事を書いた。植村記者は現在北京特派員。 │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │元慰安婦東京地裁に提訴 │訴状には親に売られたと明記。 強制連行では│
│ │ │なかった証拠になるが前の記事は訂正せず。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1992│朝日軍関与証拠発見の記事 │関与とは、具体的には性病を防ぐためと強姦事│
│ │ │件を抑えるために慰安所を設けたということだ│
│ │ │が、記事の見出しの印象操作で見出しだけ読む│
│ │ │と隠していた悪事が露見したように見えるのが│
│ │ │ポイント。 │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │朝日/北畠委員の名で吉田清 │吉田さんは「遺書として記録したいと体験を書│
│ │治の取材記事 │き、話してきた」と彼がいかにも信頼できる善│
│ │ │意あふれる人のような印象を与える記事を書く│
└──┴─────────────┴─────────────────────┘
しかし、客観的に見てコレは、韓国政府にとってリスクを伴います。
なにせ韓国政府自体が、日本が慰安婦を民間に運用させた後に、韓国軍は軍直営すら超えて「慰安
隊」として正規の軍組織として慰安婦を運用しました。 しかも、朝鮮戦争の際は最前線に報道カメラマ
ンや記者が随行していましたから、どんな悪行が行われたのか杳として知れない日本の慰安婦と違っ
て、様々な悪逆非道行為が記録されました。
この記録が報じられれば、慰安婦問題で日本を責めて賠償のおかわりを頂戴する事は不可能になり
ます。
ですから、日本のサヨクが創った嘘に乗ることは極めてハイリスクといえるでしょう。 常識的に考え
れば、こんなヤバい賭けになんか乗れません。 しかし、韓国政府は日本のサヨクが創った嘘に乗るこ
とにしました。 なぜなら上手く行けば二回目の“漢江の奇跡”が起こり得たからです。 日韓基本条約
で韓国が手にした金 ( と生産物及び役務 ) は、総額11億ドルにも達する大金(※)であり、韓国政府は
その大半を道路やダム・工場の建設などインフラの整備や企業への投資に使用し、“漢江の奇跡”と
呼ばれる経済発展に繋げました。
※:当時のレート360円/ドルで3960億円。 初任給の違いから現在の貨幣に換算して約4兆円に相当。
そんな奇跡をもう一度起こせるかもしれないのです。
そして、韓国政府にとって非常に都合が良かったのは、なんといっても日本のマスメディアが ( ホン
の一部を除いて ) 韓国政府の下僕と言って良い程の状態にあり、日本のマスメディアによる最大級の
バックアップが期待できたからです。
そして、その期待は現実の物となりました。
検証:朝日報道
http://www.geocities.jp/tamacamat/ianfu.html
01: 慰安婦問題年表 (続き)
┌──┬─────────────┬─────────────────────┐
│ 年 │ 事 件 │ 詳 細 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│ │正論8月号/諸君7,8月号 │秦教授が斎州島で聞き取り調査、吉田本のウソ│
│ │ │発覚、とんでもない経歴も暴露。 │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │慰安婦問題沈静化 │上記論文で完膚なきまでに否定される。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1993│宮沢訪朝 │訪朝直前に反日感情盛り上がる、韓国首相に慰│
│ │ │安婦の件で謝罪 │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │河野談話 │強制性があったと認める。 慰安婦問題が事実│
│ │ │として復活。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1996│中学教科書記載 │河野談話を論拠に全ての中学生教科書に従軍慰│
│ │ │安婦が記載される。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│1997│4月号文芸春秋桜井レポート│河野談話は韓国政府との政治的妥協の産物だっ│
│ │ │た...と暴露。 │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │3月朝日特集主張 │強制連行がなかったとしても、強制性があった│
│ │ │のは明らか...。と得意のスリカエ戦術。 │
│ ├─────────────┼─────────────────────┤
│ │3月朝日吉田証言否定 │斎州島の人たちからも証言なく、真偽は確認で│
│ │ │きない。と自分で権威つけして火を大きくした│
│ │ │くせに、他人事のような無責任極まる書きぶり│
│ │ │で証言を否定。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│2000│国際戦犯法廷 │天皇を弁護人なしで裁く裁判劇を九段会館で上│
│ │ │演。 NHKが取材。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│2001│NHK番組で上記番組放送 │編集に不満のバウネットがNHKを提訴。 │
├──┼─────────────┼─────────────────────┤
│2005│朝日NHK番組改変記事 │安倍・中川氏が圧力をかけて改変させたと報道│
│ │ │。 NHK幹部も反論して大問題に。 │
└──┴─────────────┴─────────────────────┘
しかし、日本のサヨクも韓国政府も予想しなかった 「 暴露 」 が起こります。
韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』が、1999年に韓国軍がべトナム戦当時に
起こした虐殺事件について記事を掲載しました。 これを受けて日本の週刊誌『SAPIO』が2001年に 【
<大論争> 「日本ばかり責めていられない」の声も 「被害者史観」韓国を揺るがすベトナム民間人虐
殺の「加害責任」 】 という記事を載せます。 『SAPIO』はお世辞にも発行部数の多い雑誌ではありま
せんでしたから、もしインターネットの整備されていない時代だったら、闇に埋もれてしまったかも知れ
ません。 しかし、時代は我々に味方しました。 今や週刊誌『ハンギョレ21』の当該記事の日本語訳も
『SAPIO』の当該記事もwebサイトで読むことが叶います。
1999年5月256号ハンギョレ21
ああ, 震撼の韓国軍!
http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
2010.12.16 ぼやきくっくり
韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題「SAPIO」01.9.26号
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid927.html
『韓国軍慰安婦』も『ベトナム戦争での民間人虐殺』も『ライダイハン問題』も、当事者は罪に問われる
事への恐怖からクチを噤んでいましたし、日韓のメディアは報道しない自由を最大限に発揮することで
確実に隠蔽していたハズなのに、日本国内で政治の腐敗や汚職を週刊誌がスッパ抜くのと同様に、韓
国でも週刊誌がベトナム戦争で韓国がやらかしたおぞましい戦争犯罪を暴いたのです。
内容を拝見させて頂きましょう。
1999年5月256号ハンギョレ21
ああ, 震撼の韓国軍!
http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm
> ベトナム戦 24周年にして見た、私たちの恥部, ベトナム戦犯調査委のおぞましい記録
>
[ 画像:略
> ( 写真/ベトナム戦でベトコンの陣地を捜索・破壊するという作戦上の名分が
> 大量虐殺を正当化した .)
>
> 戦争はこんな所でも起きたのだろうか.
> 丸いひさしの尾根、そして緑の野原, その上に白く降り注ぐ陽差し,
> 椰子の樹とマンゴ―とパパイヤ, バナナの樹…. 窓の外に流れる風景には、見える限り
> 熱帯の和やかさだけが広がっている.
> 太陽が灼けつく裏山には、腰を地につけるように田畑を耕すベトナム女性たちの
> 編み笠だけがちらほらと島のように動いている.
> 真昼の太陽に熱せられて飴のように曲がってしまいそうな道には、腰をまっすぐに伸ばして
> 自転車を走らせる女学生たちの真っ白いアオザイの裾が、重い風の中を雲のように
> 飛び交う.
> 果して、わたしたちはあのとき、このような女性たちにまで銃口を向けたのだろうか.
> 理性はなく、狂気だけが残った人間が行った殺戮の現場, その痛みの肌に触れに来た
> ‘ナムチュティン’(南朝鮮)の心情を知ってか知らずか、バスはセンターラインもない
> アスファルト道を果てしなく走った.
>
>
> 生き残った老僧の証言
>
> "1969年 10月14日, ベトナム南部パンラン地域で、韓国軍人らがリンソン(Linh Son)寺の
> 僧侶に向かって銃器を振り回す事件が発生した.
> サイゴンの報告によれば、韓国軍一名がリンソン寺でベトナム女性に戯れようとして
> 住持僧に追出されると、これに激怒, 同僚を誘って銃器を乱射したことが明らかになった.
> <AFP通信>は、この事件で71歳の住持僧, 69歳の老僧, 41歳の女僧, 15歳の修行僧 等
> 4人が死亡した事実をベトナム政府が公式に認めたと報道した.
> (<人民軍>紙 1969. 10. 24)"
>
>
[ 画像:略
> (写真/当時 リンソン寺で唯一生き残ったプフ僧侶.)
>
>
> 筆者は2年前, ベトナム政治局から出された
> ‘戦争犯罪調査報告から- 南ベトナムでの南朝鮮軍隊の罪悪’という資料の一部を
> ようやく手に入れることができた.
> 私はこの資料をまだ検証していない、ベトナム側の一方的な報告書, しかし、いつかは
> 解くべき宿題として机の引出しの中にしまってあった.
> それを、‘父の世代に行なわれた誤ちだけど’ 韓国とベトナム間のお互いが殺し合わねば
> ならなかった‘痛い歴史の決着をつけるための’小さな努力の一環として、
> ベトナムを訪問した韓国市民団体‘私と私たち(ナ ワ ウリ)’一行に初めてこの資料を公開した.
> ‘私と私たち’は、昨年にも日本の市民団体が企画したピースボート(Peace Boat)に乗り込み、
> 韓国軍のベトナム民間人虐殺現場を見て回って、証言を収録したことがある.
> “日本人の助けを借りて韓国人の問題を省みるという事実が切なかった”という彼らは、
> これからは‘韓国人の力で’ぶつかってみようという意志を結集して、また再び長い旅程に
> 出たのである. 筆者は初めて寄着時から同行することにした.
>
> ベトナム南部海岸に位置したパンランは、観光ガイドブックにも出てこない小さな町だ.
> 最大の盛り場であることが明らかなバス停留場にはタクシーが1台も見えず, 歩いて探した
> ホテルにも、ありふれた冷蔵庫もなかった.
> ただ ‘ヌクマム(ベトナムの漁醤)の町’という名声らしく、生臭い塩気が大気を
> ぎっしり埋めているだけだった.
> 私たち一行は、遠くのリンソン寺を探し出した.
> しかし、資料中に出ているリンソン寺は戦争中に消えてなくなっていた.
> 蒸し鍋のような暑さとひどく揺れるバスに苦しめられながら8時間も走ってきたのに、
> 全てが無駄に終るのではないだろうかという焦燥感を感じながらも, 一方では
> なぜかはわからないが安堵の溜息が流れ出た.
>
> 翌朝, 私たち一行をパンランまで案内したベトナム人学生から急な知らせがきた.
> 元来、ホーチミンからパンランへと入る町角に立っていたリンソン寺は
> 戦争中に爆破されて, パンランからナチャンへ行く道に同じ名前の寺がまた建てられた
> ということだ.
> わたしたちはすぐさまそちらへ走った.
> そして、そこで当時唯一の生存者のプフ(78)僧侶と現場目撃者のウンウェンティ ユエンハン
> (45)に会うことができた.
> ここまで来る間、終始筆者を押さえ付けてきた不安が, 認めたくなかった話が
> 目の前に現実となって現れた.
>
>
> 子供も妊婦も容赦なく…
>
[ 画像:略
> ( 写真/'忘れたい戦争'. 韓国軍に殺されたベトナム人の数は、
> 公式統計だけでも 4万1450名だ. )
>
> “ 軍人たちがまず僧侶に向かって銃を射ちました.
> 続いて、助けてくれと逃げる女性や菩薩様にも銃を射ちました.
> そして、屍体を皆燃やしました. ”
>
> ユエンハンの証言だ.
> 当時やっと15歳になったばかりの彼は恐ろしさで真っ青になり、叫び声もあげられずに
> 息を潜めていたと告白する.
> リンソン寺には、五人の僧侶が住んでいた.
> その時、プフ僧侶は住持僧より先に村におりて行き、喪家で読経を行っていた.
> 証言の大部分はユエンハンを通じてなされ, その寺で唯一の生存者のプフ僧侶は
> 口数が少ない.
> 当時の話をしながらも、人々はその時の虐殺の主人公の後裔に配慮してくれた.
> 冷たいお茶を持ってきて, 果物の皮をむいて薦めてくれ, パパイヤを食べて汚れた口を
> すすぎなさいと、水まで汲んできてくれた時には、涙が溢れ出た.
>
> プフ僧侶が村に帰ってきた時、寺は既に修羅場と化していた.
> プフ僧侶は火にくべられていた五人の僧侶の死体を近隣の小屋へと移した.
> 死体奪取に対する不安からあった.
> このことが伝えられると, パンラン地域全域の学校が休学を決議して,
> 学生達と仏教徒たちが一斉に蜂起した.
> “ ベトナム政府は良民虐殺を即刻中断しなさい! ” “ 人殺しはベトナムを出て行け ” 等等、
> 凄まじい叫び声がパンランを巻きこんで, 僧侶たちの死体は12日を過ぎてやっと火葬できた.
>
> “ 火葬をしても、僧たちを安息させられなかった.
> 僧たちを祭る寺が消えたからですよ.
> 僧たちの骨を壷に納めていたのですが、やっと昨年、この寺に安置してあげましたよ.”
>
> プフ僧侶がやや低めな声で話を続けた.
> 韓国軍人たちの銃器乱射事件で廃虚になった寺は、その後また再び爆撃を受けて
> 跡形もなく消えた.
> そして、昨年、仏教徒の在米ベトナム同胞の援助でまた寺が建てられた.
> プフ僧侶は30年ぶりに住持僧としてこの寺に帰ってくることができた.
> 寺の前に当時死んだ僧侶たちの遺骨が納められた三重塔がある.
> 私たち一行はその前に頭を下げて、僧侶たちの冥福を祈った.
>
> どちらかというと、私達がリンソン寺で聞かなければならなかった話は、
> 今から会う、数多くの証言の中でも最も安らかな話になるかもしれない.
> 大雄宝殿の席から見下ろすと, 空と海と野原がひと目で見渡せた.
> どこに目を向けても、限りなく平和なだけの, 限りなく懐かしいだけの風景,
> しかしその中には、まだどれくらい多くの話が隠されているのだろうか?.
> ‘私と私たち’一行は、韓国軍の軍事作戦が最も熾烈に展開された中部地方に
> また再び旅立ち, 筆者はリンソン寺を振り返りながら、振り払えない重い歩みで
> ホーチミンに帰ってきた.
>
>
> "女性たちを強姦した後、殺害"
>
> 韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、
> できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる.
> 前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を捜索, 破壊するという
> 作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた.
> 筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、
> 負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する.
>
> 1965年 12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に
> 500余発もの大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”
> というスローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた.
> 彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦,
> 70歳以上 6名の老人を含む, 50余名を超える良民を虐殺した.
>
> " … などは、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました.
> 彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に
> 投げ捨ててありました.
> 妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていました.
> 韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って
> 地面に放り投げ, あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てました.
>
> 彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、
> 樹に投げつけて殺した後、焚き火に乗せました.
> そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"
>
> パンランで別れて二日ぶりにクィニョン市を調査中の‘私と私たち’一行から電話がきた.
> “見つけました! 当時調べた、現人民委員会 主席の話です.”
>
> 1966年 3月19日と20日の二日間にわたった‘ベトナム中部各地の戦争犯罪調査会議’で
> 韓国軍の罪悪性を毎々に明らかにした話だ.
>
> “ 手にしている、この資料がますます 恐ろしくなりますね.
> ひょっとすると、わたしたちはこの資料をもっと補充しなければならないかもしれません.
> ビンディンソンを中心にこの資料に紹介された4地域だけでなく、韓国軍の虐殺現場が
> 他にももっとあるというのです.”
>
> 当時の報告によれば、66年 1月23日から 2月26日までの約一ケ月間、
> 猛虎隊 3個小隊, 2個保安大隊, 3個民間自衛隊により、この地域だけで、
> 計1200名の住民が虐殺されて, そのなかにはひとり残らず抹殺された家族が8世帯にも
> なった.
> また、1535軒の家屋と850万tに達する食料が焼き払われ,
> 649頭に達する水牛が銃弾によって死んだり焼き殺された.
>
> このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して,
> 韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、
> 家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した.
> 生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮, 妊産婦,
> 女性に対する強姦殺害, 家屋への放火などだ.
> 生存者の証言を土台に韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、
> いくつかの共通した類型が現れる.
>
> - 住民たち ( 大部分が女性と老人, 子供たち ) を一ケ所に集めた後、
> あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する.
>
> - 住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も
> 全部燃やす.
>
> - 子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む.
>
> - 女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す.
>
> ‐ 住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる.
>
> 韓国軍の大量虐殺が強行された所では、
> 子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた.
> 老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった.
> 恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ.
>
>
> 果して、あなたたちに真の反省はあるのか
>
> 私たちにもベトナム戦は忘れたい戦争だ.
> 韓国は1964年、医療支援団とテックォンド教官等、270余名を
> サイゴンの南のプンタウに派遣することによってベトナム戦に軍事的な介入を始めた.
> 以後、65年から73年まで、約30万名の戦闘部隊を‘ベトナム政府の要請’という美名の下、
> ベトナム戦線に投入した. この過程で韓国軍も4960余名が戦死して、10余万名が負傷した.
> しかし、韓国軍はまた、敵軍のベトナム人を4万1450名も殺す全勝(?)をおさめもした.
> 我が軍の死者数の10倍に達する敵軍を戦死させたのである.
> それも、公式的な統計上でだけ!
>
> そして戦争は終わった.
> しかし、終戦24年を迎える、この瞬間にも地球上のあちらこちらからは
> 新しい銃声が響いている.
> 韓国ではコソボでの人権を叫ぶ声も高い.
> 20世紀の傷が癒える前に、21世紀のまた違う傷ひとつを産んでいるのだ.
> 加害者も被害者も傷ついた‘今日’を治癒する過程なしでは、私たちに未来はないだろう.
> たとえ、それが良心にメスを入れる痛みを通じてだけ可能になるとしても.
>
> 歴史は私たちに疑問符ひとつを投げかけている.
>
> 果して、あなたたちに真の反省はあるのか.
>
>
> ホーチミン・パンラン=ク・スジョン 通信員
>
> vninfobank@hcm.fpt.vn
>
>
> ハンギョレ21 1999年 05月 06日 第256号 .
>
> Copyright 1995-1998 ハンギョレ新聞社
> webmast@news.hani.co.kr
この記事が韓国国民に与えた衝撃の大きさは想像に難くない。
しかし、心ある韓国人は、同時にこうも思ったハズだ。
「 ベトナム戦争は、大韓民国が建国してから初めて参戦した戦争ではない。
では、建国して直後に当事国として戦った朝鮮戦争ではどうだったのか。
ベトナム戦争のような虐殺や強姦は起こらなかったのか?」
と。
そうして、韓国政府によって固く閉じられていた『韓国軍慰安婦』というパンドラの箱が、ゆっくりと開け
られていくようになります。
まぁ、以上は下衆の勘繰りと言われれば下衆の勘繰りなのですが、一応はこの推測を裏付ける資料
が存在します。
↓ これは、wikipedia「韓国軍慰安婦」の脚注です。
本文内の文末に [ ○○ ] と書かれた数字が記事のソース(資料)です。
たとえば、
http://ja.wikipedia「韓国軍慰安婦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 - 3.9 強制連行
> 強制連行
>
> 韓国軍慰安婦のケースでは韓国政府やアメリカ政府による
> 強制があったとされている[25][2][3][30]
> 韓国における慰安婦はアメリカ兵に残忍に殺害されることや、
> アメリカ兵によるとされる放火で命を落とすこともあった[30]。
韓国政府やアメリカ政府が韓国軍慰安婦を強制連行したという内容に関しては、
│
├ [ 25 ] ^ a b c d e f g CHOE SANG-HUN (2009年1月8日).
│ “Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases” (英語)
│ . ニューヨーク・タイムズ 2012年10月31日閲覧。
│
├ [ 2 ] ^ a b c d e f g “朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表
│ ”. 朝日新聞. (2002年2月24日) 2010年3月9日閲覧。
│
├ [ 3 ] ^ a b c d e f g ・・・“・・・”(ミニインタビュー '韓国軍慰安婦'問題提起キム・グィオク博士
│ "明らかになったのは、パズルの一部") 日曜時報 2002年3月26日323号(朝鮮語)
│
└ [ 30 ] ^ a b c d e f g h i j Openly revealing a secret life JoongAng Daily(中央日報)
July 31, 2005
という風に4つのソース(資料)があって ( ただし、 [ 3 ] と [ 30 ] はリンク先が消えています )
韓国軍慰安婦がアメリカ兵に殺害されたり、放火されて命を落とすという内容に関しては
│
└ [ 30 ] ^ a b c d e f g h i j Openly revealing a secret life JoongAng Daily(中央日報)
July 31, 2005
という風に一つのソース(資料)があるわけです ( ただし、このリンク先は消えています )。
脚注の日付けに注目して頂くと、韓国政府が第二の“漢江の奇跡”を手にしようと願って、従軍慰安
婦問題で日本を叩き始めた1991年には何も漏洩も起こっておらず、主に2000年〜2010年に情報が漏
洩していることが分かります。
これが、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』の記事「ああ, 震撼の韓国軍!」が韓国に
与えた衝撃によって、関係者の重いクチが開き、戦後最悪の女性人権侵害である『韓国軍慰安婦』の
闇が陽の下に晒されていったという証拠です。
・・・ それはともかく、日本のサヨクメディアの協力を得て、『ベトナム戦争での民間人虐殺』と『ライダ
イハン問題』そして『韓国軍慰安婦問題』は隠し通すことが前提で、韓国政府は、日本のサヨクが発明
し た攻撃材料『従軍慰安婦問題』に乗りました。 しかし、その隠し事は暴露されてしまったのです。
この時点で、日本の従軍慰安婦が韓国政府から叩かれる謂れは無くなったのです。
なぜなら、韓国政府が日本の慰安婦制度を責めても、「 お前が言うな。 先ず魁より始めろ 」 と言い
返されれば終わりだからです。
普通の感覚をしていたら、これで日本の従軍慰安婦制度を継続して叩けると思う人は居ないでしょ
う。
しかし、この期に及んでも日本のサヨクは尚も悪足掻きを止めません。 webサイト『Fight for Justice
日本軍「慰安婦」――忘却への抵抗・未来の責任』 でも [ Q&A編 - 0 何が問題か 「慰安婦」制度と
公娼制 - 6 朝鮮戦争とベトナム戦争でもあったのか? ] において、あろうことか
ただなぜ1950年代において韓国軍がこうした慰安婦制度を作ったのかを考えると、
当時の韓国軍の幹部は旧日本軍や、日本軍の指揮下にあった旧満州国軍の軍人たちが
多数いました。 いわゆる対日協力者たちが韓国軍を握っていたのです。
その代表的な人物で、後に軍事クーデターをおこして政権を奪い、
長期軍事独裁政権を指導した朴正熙を見ると、
彼は満州国の軍官学校を出て、さらに日本の陸軍士官学校も卒業しています。
そして戦時中は、満州国軍の将校です。
満州国軍とは日本軍の指導下で、満州の抗日ゲリラの討伐をやっていた軍隊です。
日本への抵抗派、独立派を弾圧していた人物であり、典型的な親日派です。
朴正熙は、陸軍士官学校では、陸士第57期ですが、このときの陸軍士官学校校長は
後に沖縄の第三二軍司令官になる牛島満です。
第三二軍は組織的に大規模に沖縄各地に慰安所を設置したことは有名です。
つまり旧日本軍出身者が握っていた韓国軍は、日本軍のやり方を真似たのです。
朝鮮戦争の例を持ち出して、日本軍「慰安婦」制度を弁護するのは筋違いでしょう。
むしろ日本軍の悪習(犯罪)が、韓国軍にも受け継がれてしまったことを
反省しなければならないのではないでしょうか。
と無理やり日本の所為にしようとしています。 不可説不可説転歩譲って仮にそうだとしても、韓国軍
慰安婦は日本の慰安婦とは桁違いに残虐な扱いを受けたのにも拘らず、です。
日本軍組織が強制連行に直接関与したという証拠が何もない日本の慰安婦 ( もちろん、証拠性が
皆無な証言に意味はありません ) に比べれば、韓国軍慰安婦は軍直営すら超えて「慰安隊」として正
規の軍組織として運用されていたのですから、完全に狭義の強制連行被害者です。
はい、もう一回。
2013-05-22 中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造
特殊慰安隊 〜韓国の「従軍」慰安婦〜
http://ameblo.jp/yamasiro04/entry-11535923536.html
> 前回、韓国軍がベトナム人約30万人を虐殺し、虐殺を免れたベトナム人女性を
> 強制連行して慰安婦として韓国兵や米兵の相手をさせた ことについて触れたが、
> 韓国の慰安婦はこれだけではない。
>
> 朝鮮戦争当時、韓国は慰安婦を徴集して、これを「特殊慰安隊」と名付け、
> 組織的に軍の管理下に置いた。
> 米兵や韓国兵による婦女暴行事件が多発したため、これを阻止することを目的とした
> ものであった。
>
> さてこの慰安婦、徴集に自発的に応じた者もいたが、
> 北朝鮮軍看護婦や北朝鮮の一般人で、韓国軍によって
> 捕えられ、強制されて慰安婦にされた者もいた。
> これこそ正に韓国の正規軍による強制連行であり、
> 性奴隷(sex slave)の名に相応しい。
>
> 韓国軍慰安婦は、1996年に韓国内で明るみに出たが、韓国内では
> 「 身内の恥を晒すな 」、「 日本極右の弁明の材料になる 」
> として、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧が禁止されるなど、
> 国を挙げて事実の隠蔽に邁進している。
Hatena::keyword「特殊慰安隊」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/特殊慰安隊
> 1951年頃から1954年まで運用した韓国軍慰安婦の呼称。
> 固定式施設だけではなく、移動式運用の「従軍慰安婦」の仕組みもあった。
> 捕虜となった朝鮮人民軍女軍、女性パルチザンゲリラ、
> そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の
> 占領地内の住民である朝鮮人女性のうち
> まだ疎開しなかった女性などは、共産主義者を助けた
> の名目で強制的に性奴隷にした。
普通の思考ができさえすれば空想上の産物だと簡単に理解できる『日本の従軍慰安婦』と 『韓国軍
慰安婦』の確たる史実,そして『韓国軍がベトナムでやらかした悪魔の所業』を比べて、「 日本の従軍
慰安婦の方が酷い 」 というのは無理です。
あきらめなさい。
日韓基本請求権協定に於ける請求権は、韓国のハンギョレ新聞社が1999年5月発行の週刊誌『ハ
ンギョレ21 256号』に、「ああ, 震撼の韓国軍!」という記事を載せた段階で、既に消失していました。 (
民間人を大量虐殺しておいて、無理やり売春婦にした如きが叩けるワケない ・・・ という意味です )
それだけでも十分なのに、その後に『韓国軍慰安婦問題』が公の知る所となった段階で、日韓基本請
求権協定に於ける請求権はもちろん、日本の『従軍慰安婦問題』そのもの迄、完璧に、かつ完全無欠
に終了してしまったのです。
それが、貴方たちサヨクの目に見えない従軍慰安婦問題の現状です。
あきらめなさい。 より重い罪を犯しておきながら贖罪していない者が、既に贖罪を終えて賠償金まで
払い終えた相手を糾弾する資格なんかありません。 あたりまえの話です。
<参考文献>
・ 高崎宗司『検証 日韓会談』岩波書店、1996年
・ 吉澤文寿「日韓国交正常化」
( 中野聡ほか編『ベトナム戦争の時代1960−1975(岩波講座東アジア近現代通史 第8巻)』
岩波書店、2011年 )
・ 吉澤文寿『戦後日韓関係?国交正常化交渉をめぐって』クレイン、2005年
・ 太田修『日韓交渉―請求権問題の研究』クレイン、2003年
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